五月二十七日

   吉次が荷おろせば馬はかいで見る

             (柳多留 一)



 
 伊那の伝説。下伊那郡阿智村知里の園原が伏屋の里と言われ、神坂越えの大切な宿場であつた頃、この里に井原喜藤治という貧しい炭焼きの男が、見込まれて都の高貴な姫君と夫婦になり、ふとしたことで非常な金持ちの長者にのしあがつた。
 吉次、吉内、吉六という三人の子を儲けたが、送料の吉次は牛若丸の源義経が東国下向の時に案内者となつた金売吉次であつて、牛若丸が馬をつないだ「駒繋ぎの桜」がこの附近に残つている。
 吉内は園原氏の祖となり、三男吉六は京都に分家して角倉氏を名乗り、長者喜藤治は京の近くに移つたという。