五月二十六日

   兼平は立派に落馬した男

        (柳多留三五、一二九)



 ダービーといえばすぐに競馬が思い出させるが、実は一七八〇年、第十二代ダービー伯が始めて創案したもので、ロンドンの近郊、エプソムで行われたのがそもそもの始めだ。わが国では昭和七年から東京競馬倶楽部で四歳馬の優劣を競わせたのが嚆矢。
 こうして栄あるダービーに落馬したとあればまことにいたいたしいが、木曽四天王の一人で勇名をはせた今井兼平は、義仲の軍に従い、戦い利あらず、自ら太刀をくわえて馬から落ち、不遜なる最期を遂げた。寿永三年(一一八四)遠い昔の悲しい物語。