五月二十二日

   そら高く聞く松島の時鳥

          (甲府正木稲荷奉額)



 きようは曽良忌。
 諏訪市上諏訪の正願寺境内に
   春に我乞食やめても筑紫かな
の句碑がある。
 これは蕉門十哲の一人、河合曽良の作。上諏訪出身、本姓は岩波氏、若くして家を弟に譲り、河合氏の養子となつた。
 江戸に出て、いつしか蕉門に入つて俳諧を学び、元禄二年(一六八九)芭蕉の「奥の細道」の行脚に随つたことで知られている。
 「松島や鶴に身をかれほととぎす 曽良」があるが、本句はそれを踏まえ、(曽良)と(空)にこだわつた掛調を帯びている。
 師翁の歿後は一人諸国を遍歴して歩いたが宝永七年(一七一〇)五月二十二日壱岐国勝本で客死、能滿寺に葬られた。六十二歳。