五月二十日

   雷の出るを太鼓で触れあるき

           (柳多留 五四)




 昭和の雷電再び出よ、の声を聞いて久しい。それほど雷電為右衛門は豪快な大力士であつた。小県郡東部町滋野の人。
 明和四年(一七六七)生れ、江戸に出て十九歳のとき浦風林右衛門の部屋にはいり持前の体を利して習練を積み、信濃出身の雷電ここにありとその名を天下に響かせた。六尺五寸(一メートル九四)四十貫(一五〇キロ)。
 この句は雷神の持ちものの太鼓にからんで雷電の土俵の出の華々しさをうたつている。