五月十六日

   馬洗ふ米とは敵も量りかね

            (梅柳)




 上田市神科上野の米山城址から黒く焼け焦げた米がたくさん掘り出されるが、柵をこしらえて保存している。
 頃は天文年中、甲州の武田勢が米山城にたてこもる村上義清の軍を攻めた。城の守りは堅固で容易に陥ちそうもない。そこで城の水路を断つて城兵を苦しめる持久策をとつた。
 義清は兵に命じて軍馬を並ばせ、何の惜しげもなく水を浴びせかけるように見せた。これを見た武田勢はびつくりし手のゆるんだ隙に乗じ、村上勢は城中をのがれて越後の上杉謙信の許に走つた。水と見せかけたのは城内の糧米を取り出して馬に浴びせていたとわかり、楠木正成の奇略に比すべきものと敵ながら称讃したという俗説。