四月二十三日


   饅頭になるは作者も知らぬ智恵


           (柳多留 一)




 上伊那郡高遠町伊那市からバスで二十分美しく舗装されて近代化したとはいえ、まだどこかひつそりしたおもかげが残つている。城下町高遠の印象である。
    花ぐもりいささか風のある日なり
      昼野火もゆる高遠の山    太田水穂
 水穂は塩尻市広丘出身。夫人の四賀光子も歌人長野市出身。
 町はずれにある城址の桜は、中央アルプスを背にしてあでやかだ。谷をへだてた山腹、杖突街道にのぞんだ蓮華寺の裏に絵島の墓がある。
 徳川七代将軍家継のとき大奥の大年寄の身で生島との恋愛からこの高遠に流罪になつたいきさつがある。長谷川時雨の舞踊劇「江島生島」は評判だった。
    向う谷に陽かげるはやし此山に
        絵島は生きのこころ堪へにし
 墓近く今井邦子の歌碑がある。長く下諏訪町に住み短歌雑誌「明日香」を創刊した。