四月十八日


   大阪へ昌幸かけをはつて置き


             (安永八年)




 開国論をとなえて進歩派だつた佐久間象山は当時として創意工夫の先覚者でもあつた。写真機、電気、医療器の製作、漢方薬の研究電信機の実験など多方面にゆきわたつた。
 きようは発明の日。
 埴科郡松代町は象山の生れたところ。ここはまた元和元年(一六二二)真田信之が初代松代藩主として上田から移封されたいわれがある。幸村・信之は兄弟、その父が昌幸。
 慶長五年(一六〇〇)関ケ原合戦に昌幸と幸村は上田城にとじこもり、信之は関東の徳川勢に加わつて、秀忠の軍に従い上田城を攻めた。真田父子の挙動はそのまま智謀のナゾをひめているが、賭けをしたと見る向きもある。