二月十七日

   兼平を兄さんなどと巴いひ

        (万句合  安永四・信七)





 木曽福島町から木曽川をさかのぼつて二キロほどいつたところに上田の部落がある。そのはずれが中原兼遠の邸跡。
 朝日将軍義仲はこの兼遠に小さいときから養育された。兼遠はのちに義仲の愛人としてうたわれた巴御前、そして兼光、兼平の子を持つた。
 今井四郎兼光は木曽四天王の逸材、勇武を持つて聞え、義仲に従つて数々の戦功を樹てた。松本市今井区の地に拠つていたので、今井氏を称したといわれる。だから今井区に多くの遺跡があるのも道理。