一月二十六日

   盗人の兄嫁歌が上手なり

          (柳多留 二九)




 平安朝の女流歌人和泉式部諏訪市中洲の金子で生れたという俗説がある。式部の誕生地はここばかりでなく、西は肥前から北は陸中にわたつている。
 当時、観念的な歌のなかにあつて、和泉式部は自由奔放、いわば恋愛生活の体験からにじみ出る情熱をみず〱しく詠いあげた。
   もの思へば沢の蛍もわが身より
     あくがれ出づるたまかとぞ見る
 再縁して丹後守藤原保昌の妻になつたが、ほどなく忘れられた憂愁を貴船明神に詣でて御手洗に蛍の飛んでいるさまに托した歌である。保昌の弟は大盗袴垂保輔であつたという。