一月二十日


   だまされて磨墨の腹くびれ込む

            (万句合天明二、松一)




 寿永三年(一一八四)正月、源頼朝木曽義仲追討のとき、佐々木四郎高綱は頼朝の愛馬生月に鞭打つて宇治川の先陣に梶原景季と覇を争つた。景季も頼朝の名馬磨墨だつた。河の中程で「貴公の馬の腹帯がゆるんでいるぞ」と声を掛け、景季がためらつている隙に乗り越してしまつた。
 高綱は源平の戦が終つて発心ついに出家、建暦二年(一二一二)松本市島立区北栗にあつた正行寺を開祖、この地で示寂した。
 正行寺は文禄元年(一五九二)六九町に移つて石川伯耆守康昌菩提所となし、慶長年間城濠拡張のため下横田町に造営した。