一月十二日

   はるかではなし義を詰めて送る道

             (里童追福会)




 塩市のいわれにも異説がある。
 松本地方に塩の輸送を断つたのは、今川氏ではなく武田信玄であつたのだ。というのは当時この地の大名は小笠原長時で信玄はしばしば攻めていたが、その戦果のあがらぬのに業を煮やし、これまで武田領を通つて松本地方に輸送されていた塩をとめて、小笠原を苦しめようとした。
 信玄の行なつたこの作戦を聞き、越後の上杉謙信は援助のために塩を送つてよこしたというのである。