八月

▼去年蒔き残した種袋を見つけて何となく鉢いくつかに分け育てようと考えた。ひょろひょろ細長い蔓が延び、安定の支え棒に巻きつくようにしてやったら、機嫌よく身をくねらせた。
▼古い鉢にあるものへも、万遍なく水をやることが好きだから、一しょになってすくすくと背伸びする。名も知らぬ草木というが、私には名を知らぬ草木が正直なところ。実になっても何やらわからずただ水を撒くことに専念する。
▼草木には或いは有り難迷惑かも知れない。それは承知のうえの強要なのだ。豆らしいさやがだんだん大きくなってゆく。見届けるその日その日が楽しい。
▼強制疎開で追いやられた農家の蚕室の傍らに、野菜園があり朝になると頼まれて水を撒いた。丈の高いとうもろこしが蝉の鳴くけたたましさにもビクともせず立っていて、じりじり灼きつくような暑さが続く。あのとき水をやったのは誰だったろうと頭をかしげる。水を撒くのが好きな私だったか、それともおふくろだったか。
▼野菜園のなかに肥溜があり、わたしたちはそこで用を足した。腰よりちょっと高い板囲いを三方にこしらえて、奇異な姿態だけは視界から拒んだ。雨が降ると傘をさしてしゃがみ、だがくすくす笑いもせず誠に本気だった。
▼カンカン陽が照っている或る日蚕室に入る前の樹木に、するすると蛇が登り始めるのを発見した。高いところで鎌首を上げている。近所の男衆が来てたしかめると、てっきり蝮とわかった。「おれが退治してあげる」
▼梯子をかけ、そろそろ登り、これはというところで止まって、農家用の大きな鋏をやおら蝮の首の玉あたりに見当をつけてパチリ。見事な妙手に安堵の声があがる。
疎開して一ヶ月、おやじが自転車から降りるなり、戦争の終わったことをしんみりと告げた。すぐ戻れない破壊されたわが家の跡地を思いやった。
▼その夜、しんみり虫の音を聞き小川のせせらぎが耳をなぐさめるように響いた。八月十六日は私の誕生日だが、何もかも出発の日だと考え、この日お盆の御霊送りであることがまた発心をうながす。