三月

▼横浜の馴染みの誌友からお便りがあり、デパートの古書展で、私の「川柳の話」(五十円)を千円で求めたと言う。初心者向けで気軽に書いた小冊子だが、昭和二十二年発行、その後版を重ねること幾たび、よく捌けた。気を好くして昭和二十八年「川柳手ほどき」を出し世に問うた。
▼苦言もあり、福田山雨楼さんは例句範囲が狭すぎるのが気になるとあった。論客の逸才で鳴る御人だったから頭を下げた。当時、番傘で募集した(川柳の定義)に見事最優秀を獲得、大いに名を高めたものである。
▼最愛の御子息を喪い、その偲ぶ草の印刷を頼まれ快く引き受けたことを思い出す。その後、病い篤く死期の近きをさとり、秘蔵した品だが享けてくれと、たどたどしい筆跡で送って来た。あたりを拭い、浄机を確かめながら従容として死に就く気概に涙した。
▼此頃、熊本の噴煙の田口麦彦さんからお電話があり、田辺聖子さんの「花衣ぬぐやまつわる」を読んでいたら、松本のことがしきりに出てくるので、なつかしさのあまり声を聞きたくてとおっしゃった。日ならずして本号から連載になる柳多留二十九篇輪講の校正刷のお返事に添えて、石川一郎さんがやはりこの本を夢中で半分ほど読んだと言い、杉田久女の父は松本出身で、久女の信濃の郷愁がよく描かれているとある。
▼数奇に富んだ久女の墓を訪ねたいと松本にやって来て、なかなか見つからず、標示にあったら親切なのにと思う人が多い。句碑を建てた藤岡筑邨さんは、しみじみ観光の面で損をしているという。
田辺聖子さんは番傘一月号に武玉川の句のことで執筆されていたので、参考にと差し出がましくも拙誌旧号川村花菱さんの「武玉川のエロテシズム」数篇があるのをコピーして送った。お多忙のなかをお礼のお便りを戴き恐縮した。
▼大妻女子大の石川了さんから今度「大妻国文」に浜田義一郎さんの年譜を掲載するについて、力を貸してくれとのお依頼があり快諾した。数年前に関西大学の「国文学」に食満南北さんの著述書目を編んだのは堀口塊人さんのお息女だった。思い出深いお二人である。