十二月

青森市にこの九月出掛けた折、津軽凧の下絵が欲しくて民芸店に寄つた。そのままの大きさのものそれに模した色紙や絵はがきがあつたが、どうもけばけばし過ぎて気に入らず、骨董屋にあつた妖艶な女の顔みたいな武者絵に惚れこんで買つて来た。部厚い額縁のなかに入れてたのしんでいる。
「太陽」新年特大号の表紙は駿河凧で金時の絵がらである。むつつりした口もと、大きな眼玉、配色のうまさが冴えている。津軽凧とはまた違つた味があるようだ。そんな感じを受けて本文を見ると広重の東海道五十三次の特集があり、解説に中村幸彦の名を見付けた。本誌に屡々貴重な資料を縦横に駆使して執筆して下さる中村さんだからなつかしい。天理大におられた頃からの知り合いで、いま九州大学にいる。会つたことはない。お手紙は必ずといつてよいほど墨書きである。
▽五十三次の絵のなかでは三島、四日市が私は好きだ。戦争中、はがき大判の××【資料剥がれのため判読不明】沢版のものを手に入れて、五十五枚をきちんと貼れるアルバムに収めてある。
▽知つた人の名といえば、毎号といつてよいくらい佃公彦の名がある。漫画家だ。伊藤瑤天さんの紹介で松本の遊楽コーナーの探訪記事をとるためにやつて来たとき逢つた。海兵卒と殆ど同じとき終戦になつた事を話された。独自なスタイルで世に出ようとも抱負を聞いた。あれからもう六、七年。めきめき腕をあげて活躍している。私家版「ほのぼの君」をいただいたとき、そこに画かれたペーソスが妙に私の胸を打つたことを覚えている。いま「週刊朝日」に連載漫画を受け持つた。
▽もうひとつ、「日本あちらこちら」のなかで、(小さな博物館)として松本民芸館が挙げられていることだ。丸山太郎君が永い間に収集した生活具を長野県産は勿論、朝鮮の陶器まで陳列してある。ゆつくりゆつくり観賞すると実にたのしく、心まで豊かになる。松本市里山辺に建てた。本誌が戦後復刊して以来表紙の版画や絵を長らく担当してくれたし、いまでも快く引受けている好い友である。ちきりや洋紙店の会長で殆ど商売の方は娘さん夫婦にまかせつきり。