二月

△私は元來音痴である。歌も唄もよく覚えぬ。声もよくない。高くなるところへ來てぐうつと低くセーブしてかゝらぬと息がつまる。決して傾聴に値するものではない。しかし友達は私ののどをふるはしたくてしきりに所望することがある。駄目だとわかりきつてゐて意地惡だが、それでもうたはんとする殊勝な私の氣持を買ふらしい。
△何かの席上、隱し芸などが順々に自分のところへ廻つてくるに從ひ、何をやらうか、かうしようかとためらつてゐるうちにぼうつと上氣して、平素口吟んでこんなのを隱し芸のときにうたはうと覚えこんでおいたとつときの歌のアルバムをすつかりはがされどぎまぎする。私は余興が苦手だ。
△川柳仲間では私が童謠をうたふことだけ知つてゐて「童謠でもよいよ」と許してくれる。大人の童謠は音痴でなければよく成し得ぬ逃避であらうか。どうも席上を浮かすやうな喝采を浴びさすやうなはなやかさは微塵もない。人のものを好人物らしく聞いてゐるに如かずだ。
△私の弟は昭和十七年二月六日に廿六才で死んだ。きびしい二月の寒さだつた。ほんたうに苦しみ、ほんたうに耐へた。しかし怒つたりわめいたり泣きごとはしなかつた。彼の片言隻句は私の胸にある。よい弟であつたたつた一人の弟であつた。
△弟は江差追分が好きでレコードをかけては聴いてゐた。私もあの哀切極りない北國の俚謠が好きだ。尺八の流れに乘つてくる人の声のせつなさは、自分がこの世のなかに生きてゐることをしみじみ味はせてくれるからかも知れない。私は江差追分を聞きながらきりきりする息の尾のせつぱづまつた刹那に自分を置いたりする。