迷へるひとのもとに

 雜詠に課題に、また句会に出席され熱心な投句を續けられほんたうにありがたう存じます。川柳に親しんでゐてくれる氣持に対し萬腔の敬意を表したいといつも思つてをります。ところであなたは、初心者の作句態度の陥り易い弊にとりつかれてゐることに私は予ねて氣付いてゐたのですけれど、いまにそれを直して下さることをのみ念じてひそかにぢつと靜観してをつたのです。しかしやつぱりあなたはその作句方法を自らの創作とせずに、既に発表された他人の句の上五、中七、下五のうちを入れ換へて繼ぎはぎの小細工でまとめた十七文字に捏造してしまひ、そこに何等の眞實性を発見せず、たとへ今まであなたの句として見馴れさせてゐたことが取返しのつかぬ邪道に踏み迷はせたとはいへ、これでは川柳を創作するといふ文学の花園を荒すものとして警戒せねばならなくなりました。
 けれどもあなたはさういふ氣持でやつてをらず、偶然の一致で見る人にはさう見えるのだと申されるかも知れません。それも度重なると如何にも剽竊したものと思惟せずにゐられなくなるのです。最初からそんなに上手に創作し得るものでなく初心者なら初心者らしく素直に十七文字と取組んでいたゞきたいものです。ですから他人の句とまぎれ易い句を創作せず、新しい境地のうへでどこまでも心からにじみ出る個性をひらめかせて下さい。
 川柳雜誌を讀むときにはうんと讀み、句を作るときにはぢつと思ひをひそめ、創作といふ道に起つてほしいのです。常に雜誌を讀んで作句用意に備へるだけの度胸と熱情と発想を傾けて下さい。火花となつて溌剌と散るやうな若々しい句がきつと出来上つてゆくことゝ信じます。
 これはあなただけに申上げるのではありませんけれど、川柳作家として自らを高めてゆくには、やはり他の文藝にも一通りの知識がのぞましく、殊に同じ短詩型の短歌や俳句の動向といつた概観を常に少しでも頭に入れておいていたゞくと川柳の土台もおのづからがつしりとして自信が溢れてまゐるものであります。それに評論家の言葉や、小説のうま味や、戯曲のコクのある情趣や、その他種々のものを見たり聞いたりして、おのが知性を深めてゐれるだけの包容性は必要なのであります。どうか目覺めて明るい大空に抱かれることをお祈りします。