十月十九日

   上田の小袖下じめは糸真田

         (柳多留 一一六)




 上田の小袖は上田縞を利かし、糸真田は真田紐のことだから、上田・真田との読み合わせであろう。
 関ケ原合戦で西軍についた真田昌幸・幸村は処刑をまぬがれ、紀州高野山に近い九度山におちついた。ここで十余年の間、真田紐を織つて渡世したという。
 しかし、これは平打ちの組みひもを真田紐というところから、そこで組みひもづくりをしただけとの説もある。
 上田縞の小袖を着、その下に締めたのは真田紐、いずれも上田に縁があるという句。