九月十二日
戦はぬ日にも片眼で軍書見る
(柳多留一〇〇)
小男のうえに片目でチンバだが、世に聞えた知将といえば武田信玄の謀臣、山本勘助がまずあげられる。敵軍に一度もその作戦をさとられることがなかつたが、永禄四年(一五六一)九月の川中島合戦のときに、上杉軍にうらをかかれ無念やる方なく血戦をつづけてついに倒れた。七十歳。ともかく、まれに見る大軍師。
勘助が戦死した篠ノ井市北小森に彼をまつつた勘助宮があつた。「鎧掛けの松」は桜の名所となつていたが、明治末に東福寺宮に合祭され、松も桜も枯れてしまつた。これを惜しんで昭和五年、漢詩を刻んで「勘助の碑」を建てたが、桑畑の中にポツンと忘れられようとしている。
ところが一説によると、実在の人物だが足軽で斥候に出されているに過ぎない。勘助の子が文筆で父親を偉大な人物として創作したものだともいわれる。