九月七日

   三日見ぬ間に花の咲く仲の町

          (柳多留 四四)



 天明の頃、一世を風靡した俳人大島蓼太の出生地については諸説がある。江戸、木曽、松代、上伊那郡飯島町本郷字大島、下伊那郡松川町大島である。しぼられたところで伊那説が正しいようだ。
 幼少にして父に伴われて江戸に移住し、父は藤屋平左衛門といい、幕府の御用縫物を業とした。父の業を手伝つていたが、二十三才のとき、深川の雪中庵二世桜井吏登の門に入つて俳諧を学んだのがこの道に入るきつかけとなつた。
 門人三千に余り、諸国を吟遊し、当時の俳壇に最も勢力を持つていた。
 本句「世の中は三日見ぬ間に桜かな」をもじつたもの。
 天明七年(一七八七)歿、きようは蓼太忌。