六月二十七日


   頼まれた駒を別当木曽へ連れ

            (一安追善会)




 木曽義仲は幼名を駒王丸といつた。
 父の義賢が武蔵国多胡にいたとき、義賢の兄である義朝の子悪源太義平のために殺された。久寿二年(一一五五)のときである。駒王丸は生れて僅かに二歳であつた。
 義平は家人の畠山重能に駒王丸を殺すように命じたが、あまりにもそのいとけなさに斬るに忍びず、たまたま斎藤実盛武蔵国に来たのでひそかに情を明かして孤児を託した。実守は七日の間かくまつてやつたが、しかし長くこのままにしておけば大事になることをさとりその母に抱かせ縁故のある木曽谷の中原兼遠に預けた。駒王丸の乳母の夫である。駒王丸はここで元服し名を義仲と改めた。