五月二日


   どう見ても真田は男二ひきなり

              (柳多留 五六)




 上田城に真田石というのがある。畳八枚を敷いたくらいの大きい石だ。
 関ヶ原合戦がすんで、城主の真田昌幸は上田から紀州に移されることになり、かねて徳川家の縁続きになつていた昌幸の長男信之が代つて居城せしめられた。
 ところが信之は再び元和八年(一六二二)松代に移されたとき、父の想い出には何よりの紀念と考え、この真田石を運び出そうとしたが一向に動かなかつた。
 上田地方七不思議のひとつ。この句、父子ともに侠友にすぐれていた事にたとえたもの。