四月三十日


   死ぬと直がすると親和をむごい評


            (柳多留 一六)




 書画に対して鑑賞するだけの心がまえと、いつか値が出るだろうという蓄財の割り切つた考えかたを持つ二つの方法がある。いずれがよいか、それは全く自由で、作者すらきめつけることは出来ないだろう。
 三井親和は信州高島城主の弟の家来三井孫四郎の子として江戸深川で生れ、通称孫兵衛字は孺卿・龍湖または深川親和といつた。民衆はうちとけて〈深川のおやじ〉と愛称したのである。
 書道を以て一世を風靡した親和は、篆刻の技にも秀で、また射技をよくする達人であつた。親和の才の縦横無盡のあざやかさが素晴らしい。江戸中期の人。