四月十三日


   徳のある本道は苗字が知れず


            (柳多留 二五)




 石川啄木の歌稿「陰気なノート」をまとめて第二歌集「悲しき玩具」を刊行したのは歿後のことである。きようは啄木忌。
   そんならば生命が欲しくないのかと
   医者に言はれて
   だまりし心!
 診断を受けての偽らないつぶやきだ。
 名医といえば時代は違うけれど、永田徳本がある。今から四百四十余年前の永正年中に生れ、その生国は甲斐、信濃、美濃、三河肥前ともいつて定説はない。長く甲斐にいたので「甲斐の徳本」で通つたが、晩年は信濃で暮した。岡谷市長地にその墓がある。
 この句の本道は、下科に対する語で、今の内科のことである。