二月十二日

   あと王手らしく継信討死し

           (柳多留拾遺  五)




 将棋好きな人はあと王手と聞いてどんな顔をすることだろう。あと王手らしく佐藤継信源義経のもとで落命した。
 屋島の戦のとき、平家方の能登守教経が義経を船の上から強弓を引いて射んとしたので継信は真先に進んで矢面に起ち、義経の馬前にふさがり、その矢先にあたつて討死したのである。継信の弟の忠信も、のち義経のために身代りするなどして遂に犠牲になつたいきさつもあり、母の梅唇尼は文治三年(一一八七)亡き児たちの遺髪をたずさえて善光寺に追善供養をしたいわれがある。