一月

 車輪の跡だけが道路に残つていて、あと一面は雪に覆われすさまじい。幾年振りの豪雪になり、道路に支障を来たしたのが一月中旬で物すごかつた。
 早く帰る積りの横浜の長女も、予定を狂わしてしばらく待つた。うちの自動車二台が借りている車庫の屋根も積雪のため損傷に遭い、多少押しつぶされたが、大傷でなかつたので、ホツとした。
 道路の真ん中を空けるように、両側に沿つて雪を積み残した。暫く振りに町を一変した。別宅は市街地ひ比し郊外のため、積雪は充分でなく、通行人も自動車も安全というわけにゆかず、しぶしぶ通行するより仕方がない。
 ハイヤーを頼んでも大抵苦情を言いながら運転手を困らせた。乗つている者も難路を運転してくれるものだから余計な口出しをしない方がよいと考えた。
 句会場にそれでも予定通り集まつて呉れ、定刻にやつと間に合つたはいいがビリだつた。雪のためだとみんな承知してくれて有り難つた。
 句会がすんでから小宴が催され県内生坂村に住む藤沢三春さんと同席で、話が漫画家のうえで覚え忘れてその時は分からなつたが家に帰つてから佃公彦だつたことに思い当たつた。
 戦後、高須唖三昧、品川陣居、塚越送亭さんにごく懇意にし、また伊藤瑶天さんのところへも寄つた。瑶天さんが出していた日本観光新聞に連載した「全国歓楽街めぐり」の取材に佃君が松本に来てくれた。歓楽街を案内したのが縁だつた。海兵に属したが兵籍で何処へも就職できない桎梏に逢い、心細いながらヘボ記者だ。
 そして後日、佃公彦で名を挙げ子供中心の漫画で人気を高めた。中央誌に連載されたものだつた。

 夜も未だあけやらぬに、中間たる者、戸をあけ「さてもおびただしく雪の降りたるは」といふ声しけり。亭主聞けば「いかほど降りたるぞ」と問へば「されば、深さは五寸ほどつもりて候。幅は知れぬ」と申したり。
    (醒睡笑巻四・寛永五年)

  雪見とはあまり利口の沙汰でなし (柳多留初篇)