十二月

 懇ろに文通を重ねていた仙台の浜夢助さんと知り合って数年、ことらに川柳大会で開催するが、是非ご出席を賜りたいとお手紙を戴いた。その頃、入歯の年齢時期で思い切って歯医者に治療をお願いし略出来上がった。君は何時入歯をと聞かれると、この川柳大会が想いだすことになる。
 駅に到着したらご親切に案内を受け持った方がおられ、その夕方松島の眺望をほしいままにした。大会の受付などに巾を利かして、運営を取り持っている僧籍にあられ、その反面、粋人らしい容貌を見せておられた。
 この大会に川上三太郎さんと同席した。東京から来られた機会に聞き正したい新聞記者に取り巻かれて賑やかだった。
 一夜した帰りがけ、三太郎さんと向き合って東京まで談話をつづけ、大家の横顔をちらつかせた。仙台を後にしたから自由の身とおっしゃって、福島県小高町の今野空白さん宅を訪ねた。突然でちょっとびっくりしたが、すぐさま応待に接して語り合った。
 夢助さんとは別のグループで、やはり仙台に本拠を持つ吟社同人だから雰囲気が違っていた。これが初対面である。
 ペンネームで全国川柳誌月評を数年間「川柳しなの」に発表して好評であった。資料は幾カ月に一緒で返送していただいた。
 或る時、東京で川柳大会があり私は選者を頼まれて出席したら、同じように空白さんが顔を見せた。機会だから信州風物に接したらと言うと、ウンと言って承諾、同車で松本まで話し合った。
 その夜、別室で休んでいただいた最夜中、近所に火事があり驚いて窓を明けて、安否を気遣うようだったが、じきに鎮火に終わった。
 空白さんの名指しで、杜人川柳大会に数度、お邪魔した。夕方、案内されたのが、天江富弥さんの酒肆で、例の徳利が差し出され、奇異の目を見張った。既に「川柳しなの」を贈っていたので気色よく対応され、翌晩は私ひとりを連れて珍しい酒場を案内してくれたし、平山江藘の大きな絵画帳を私に託され、またわざわざ数年後拙室まで来ていただいてお返した。既に空白さんと共に故人、痛切の極みである。