九月

 メゾンとはサロン風の高級食堂か、家、住宅、特に日本ではマンションの名へつけて用いる。老妻と住んでいる別宅のその隣がメゾン浅井の名称で上下階六軒宛が住んでいる。独居、所帯持ちで、勤先は聞く必要もないので知らずそそくさと急がしそうに出入りするのが日課のようだ。
 自動車五台が並ぶ広地を持ち、自転車は持ち主ドア−のところに置いてある。管理人とおぼしき婦人が飼っている犬は専用の小屋周辺を徘徊出来る二メートル余りの鎖で縛られ、小屋で眠ったり外にいい空気を吸いたくて出て、地面に腹這い安眠を貪って平気だ。
 啼くときは勤先から帰ってくる夕方の馴染みの顔を見るとき、すさまじいほどの喚声で、ひと声では満足せず、連発の物凄さはけたたましい。威嚇ではなく歓迎であるから、犬の笑顔を真から見たいならお越しを願って止まぬ。
 私の玄関前の家で飼っている犬は、物陰に隠れておるような狭いところに、麗々しく洋傘をさしかけ雨や雪を凌ぐ境遇で、夜中に啼くことが多い。朝夕鎖を引っ張って家の人と散歩しているのに逢うとき、両方に挨拶してあげる。
 今と違って放し飼いが許された一時期がなつかしく、朝怒鳴られ戸を叩く人が、飼い犬に吠えられた苦情を申し立てて、慰謝料を強要されたことを思い出す。
 そういうことが続いたので、遠く方へ小屋のまま捨てに行ったが二、三日したら帰って来たのには驚いた。そんなことはあるものがとたしなめられるが、うちで体験したから本当だ。
 吠える犬を引き取ってくれる犬好きの人があると聞いて、持って行ったら大歓迎振り、どう処理したかどうか聞かずにいたら、近所の人は煮て食べたらしいという。木下謙次郎著「美味求真」のなかに、中国では黄犬を貴ぶが、本那では赤犬を以て食味第一とし、白犬を最下に置く。犬を割くには別に法はないが、内臓を傷つけぬように注意することで、牛馬と異り犬猫の糞は悪臭が強く、ややもすれば内に移り易い恐れがありと言う。私の家の犬をどんな処理をしたものかと、遠い昔の話だが気になるのは私の戌歳のせいだろう