六月

 父は世話好きで、困っている人を見ると手を取ってやる方だったが、恩誼を感じて丁寧に接して下さったことを思い出す。
 そんな経緯を知っているものだから、私にまで気をかけて下さるので恐縮する。父が逝くなってからもお付き合いが続いている。
 幾人かあって、どうやら事業が繁盛に漕ぎつけ、陽の目を得たように稼ぐ好運の様子を聞いたりし幼な心にもうなずく向きもあり、どうにも進展せず相変わらず苦痛から離れない不運にある実情を垣間見た。そんなとき父に命令され無力の私が相談に行くような時もあった。私なんかには手に負えない難題が待っていた。
 私は殊更口下手で、相手を説き伏せるような弁舌にはこと欠いて終始押され気味だった。解決には明快の道を辿るに小胆が災いし、しおしお退散の憂き目を味わったが、大言壮語は出来なかった代り詭りは避けた。
 まして知ったか振りや、思い上がりの巧言は出来ないで、正直すぎて相手にころりと負けた。
 あやふやな話題は特に避けたし父に命ぜられる応待の場合、偉そうな態度はせずに、ひたすら気弱と思われる誠意を示したかったし、何時か読んだ「玉石集」の次の逸話がふいと浮かべた。

 或る外国婦人が療養中のトルストイに、再三願って漸く会見の承諾を得た。彼女は、トルストイを見ると直ぐに、
 「先生、あなたの文学は、どうしてこんなに人を動かすのでございましょう、私も、深く感動させられた一人でございますが、殊に感動した一篇はあのう……」と感極まったのか、その作品の題名が口に出て来ない。
 トルストイは微笑して、
 「(死せる魂)でしょう?」と助け船を出した。彼女は大いに喜んで、
 「そうです。そうです。それでございますわ」と叫んだ。トルストイは甚だ淡泊に呟いた。
 「そうですか。もっともあれはゴーゴリの作品ですがね」
 そしてこの逸話のタイトルが誠に当を得た「典型的な大衆」の大衆の語で、自分を警しめるに充分。