五月

 まだすっかり朝が明けないときふと目が醒めた。起きるには早いし、うすぼんやりしているのも、せんないものだから、ラジオでNHKをとらえた。
 インタビューが始まったらしい経過で、かわもり・よしぞうという何だか聞き覚えの名前だった。九十五才、家内も丈夫で家庭的な親睦が図られていて、自分からはっきり幸せとおっしゃっている。
 大阪府の堺の生まれ、肥料問屋で忙しい家業だった様子。東京へ出てあちこちの大学の先生を勤められた。いまは悠々自適でありながら、足腰は弱くなってあまり外出はしないと言う。
 構想を練った「パリの藤村」が脱稿とのこと。島崎藤村は大正二年から三年間、フランスに滞在したが、その経緯だろう。
 フランス語が専攻で、当時の学生の大凡が最初から仏語など学ぶ気は少しもないので、授業が始まりまだ時間が経たないうちに、いつもがやがや騒ぎ立てる。
 何とかして一時間の授業をスムーズに過ごさせようと考えついたのはフランス語の小咄であったと言う。ああ河盛好蔵かと判明して私はにやりとしたものだった。
   追っかけっこ
 ある男が精神病院のそばを歩いていると、不意にひとりの患者が現れて、かれをめがけて突進してきた。ぎょっとしたその男は一散に逃げ出したが狂人の足が早くて、ふたりのあいだの距離が次第に迫ってくるばかりである。とうとう息がつづかなくなって、かれは断念して足をとめた。やっと追いついた狂人はかれの腕を軽く握って、耳もとでささやいた。
−−さあ、こんどはきみが追っかける番だよ。

 これの似通ったものに
   駈る名人
 追っかけくらの名人あり。ある時、盗人が追いかけ行く。向ふから友だち来り「なんだなんだ」「泥棒を追っかける」「その泥棒はどれだ」「アレ、あとから来る」

 これは江戸小咄「坐笑座」で安永二年刊もの。
 いまは私はフランスと江戸の近似を拾い出すに大童微笑み給え。