二月

 松本駅前で拾ったタクシーに村井町のJA松本ハイランドグリンバルまでお願いしたら、何用ですかと問われ、川柳の話を頼まれたといった途端、私はいま岡田甫の「川柳東海道」上下を古本屋から求めて読んでいると言う。
 興に乗って川柳の本質を知るいい機会に恵まれたとおっしゃるし読売新聞の時事川柳は毎日楽しみですと正直そうにうなずいて見せる。
 岡田甫さんは千葉治が本名で、生前中懇意にしましたよと私も応じているうちに会場へ到着し、何かの折にまた会いたいものだと言い交わして降りた。
 まだ始めて貰う時間にならないが、大体集まり待ちかねているものですから早速頼むとせがまれ、壇上に立って見渡したら会場いっぱいで賑やかだ。
 民間福祉大学生と銘打った六十五歳以上の男女の面々。農家出身、私と性が合いそうな年齢。
 川柳のほかに狂歌も江戸時代に盛んだった資料として、蜀山人狂歌堂、四方滝水、式亭小三馬の作品と十返舎一九の絵の扇子貼り交ぜの軸を正面に掛けておいた。松本にゆかりのある作者たち。
 戦争中に農家奉仕ということで町の青年会が一団となって農村の手伝いに行った話から始め、不器用な私は田植には随分骨が折れたと失敗談から終戦一カ月前の七月十五日期限の強制疎開で家を破壊され、のち僅かに残った土蔵の窓から眺めた実感句を聞いていただいた。
  家をぶっ壊されても
    陽は東から
 川柳を識った時期として、中学校1年生のとき、短歌、俳句が掲載され、四年生に川柳を教えられその経過期間に達意の編集能力を示された芳賀矢一の名を挙げた。そして住江金之の「酒」のなかの珍談として登場する芳賀先生を披露して息抜きに笑わせる。
  減反の風土に耐える石仏
            弘吉
  兼業へ妻が主役の農事メモ
            安江
 川柳の生い立ち、柄井八右衛門 柳多留。古今田舎樽のなかの
  名所にもならでしなのの
       夏の雪