一月

仮寓に老夫婦で住んで、二回目のお正月を迎えた。先ず近所にいる犬と顔馴染みになり、目と目が合うとき、鎖に千切れるほど引っ張って近づきたがるが、しっかりした鎖で解けそうにない。吠えることは決して忘れず、緊縛の身のつらさが続く。一年間放したことはなかった。放してやればと思うが、飼主の思惑にさからうことはせず、成り行きにまかせる。
 この犬はアパートに住む人達と親しみ、扉の出入りに、小躍りをして歓迎、立ち上がって歓声を挙げる。頭を撫ぜてやりつつ、愛着心を湧かし合っている。
 五日の日曜日はまだのんびりしてよさそうで、NHKテレビで劇場への招待「女優・松井須磨子水谷八重子)の生涯」を観ることにした。主演者が信州人。子供ごころに覚えた名前だった。埴科郡清野村(現長野市松代町出身)。離婚再度の憂き目に会い、専心演劇の研究に没頭し、文芸協会第一回公演に「ハムレット」本名小林正子、松井須磨子を芸名とし、第二回公演は「人形の家」の新しいタイプで評判を高くした。
 演出家の島村抱月平幹二朗)と愛人関係にはまって、文芸協会を追われ、大正二年に抱月と共に芸術座を興す。両人のコンビにからみ、劇団と離別する者が出ても、去る者は追わない。
 大正三年に「復活」を上演、カチューシャ役で大反響、中山晋平安井昌二)歌曲にいやが上にも勢いを駆り立てた。晋平は信州人、下高井郡日野村(現中野市)。テレビでは故郷に錦を飾る長野市公演の数カットが映った。
 劇中歌「カチューシャの唄」は大ヒット、レコード二万枚が売れ六年間の上四四〇回に及んび、国内はもとより台湾、朝鮮、満州にまで巡回が続いた。
 抱月宅に懇意の身で応待に携わる川村花菱(柳田豊)が登場してハッとした。思えば昭和二十五年六月号に「柳樽の作者に逢う」十月号に「足もと」を本誌にご寄稿。越えて昭和二十六年八月号に「武玉川のエロチシズム」(一)、九月号に(二)、十月号に(三)と続く。うたた年月の流れをひしと感じ、川村花菱さんと敬愛の情で呼ぶ。