十二月

 同姓同名という人はあるもので電話帳や名簿などに見つける。親戚同士でままあるようだ。他意はなく偶然同じ場合、それほど気にしたりせぬ。
 呼ぶとき南何某、北何某と俗称めかして、親しみを覚えさせたりする。
 太郎、次郎のように生まれ順序を示すことが多い。平凡だがそれで落ち着き、じっと守っている風だ。
 男ばかりが続くので、今度は女の子を願う。思うにまかせずまた男。ここで雷男と名付けて、次に女の子を夢見る。
 学校の友達に三津江とあるが、男子生徒だった。頑固で無骨で、いたって人気者で鳴らした。
 藤岡筑邸著ち「信濃秀句一〇〇選」に
  高原のいづこより来て
   打つ田かも
 「小海線の旅」と前書きのある作者は大島民郎。
 太郎、次郎よりは数は少ないだろうと考えていた自分と名前が同じなので、親しみを感じてどこの人かと著者にたずねたら、水原秋桜子門下で、「高原俳句」の一翼を担うほど、信州の高原の句を作り相馬遷子、堀口星眼らとよく軽井沢に遊ぶという。
 此頃出版された「長野県文学全集」7の詩歌編にも浅間暮れと表題の十一句が紹介されている。
  梓川月光絶えて
    なほひかれり
 先日、NHKテレビ昼時、日本列島、群馬県の番組を観ていたら、長野県との県境に熊野皇大神社熊野神社が並んで放映され、隣同士の仲のよいところが気に入った。賽銭箱は共有一基、ここでもねんごろである。
 両神社の宮司が紹介され、姓名は違うが、一人は曽根民郎。意外なところで民郎に満悦。電話は北佐久郡軽井沢町通用。
 (石)がつくと私と同じ姓名。これは驚いたり喜んだりというもの。
 中曽根、曽根、曽根原、小木曽、それに石曽根は弘く行き亘って目白押しだが、中信地方では松本市南安曇郡三郷村に多い。
 因みに上伊那郡飯島町に字で石曽根が居座ってござる。見つけどころ。