十一月

 もともと麻生路郎門下生である私だが、交友を深くするために他吟社の人たちとも仲好くした。岸本水府の直筆句集「番傘抄」を大切にし、番傘関係の食満南北も刺を通じて親交を重ねた。
 色紙のほかに
  引越してからの原稿
    よく運び
 居間に飾ってある。絵入りの随筆をご寄稿下さった。達筆でときに読めない字があると、よく照会して確かめたものだ。
 この句にはひょいひょいとかつぐ四つ手駕籠が画賛してある。ご本人はいたって転居好きで、あきれるほどいく度も重ねた。ぜひお会いしたいとすすめて下さったが、ついついその機を失った。
 芝居絵のごく低い茶席に使われる二枚屏風で、気ごころの知れた人にはわざわざお見せする。当地で頒布会を開いたが好評でみんな片付き喜んでいただいた。そんな思い出がいま湧く。
  よごれては居るが
    自分の枕なり
            水府
 煙管の画賛。これも横額。
   だしぬけに鐘が
    鳴るのも旅のこと
           路郎
 横額で大切にしている。ご三人ともわが家では三幅対というものであろう。その一人が転宅好きだが、信州小布施の高井三九郎の家に滞在して画を残した葛飾北斎も引っ越し好きだった。
 「これは有難い。ほんとうにいい家だ」そう言って喜んでいたのに、三日経つと飽きてしまって「どこかいい家はないだろうか」という始末。一日に三回引っ越しをしたことがあったとか。
 或るとき「転居がお好きですがどういう訳ですか」と問われ、「私は引っ越しが道楽だから仕方がない。寺町百庵という人があるが、この人は生涯に百回転居すると言って、百庵と号しているのだが、もう既に九十四回越したそうだ。私も百庵にならって百回転居したいものだ」
 七十五歳のとき、それまでに転居が五十六回になるが、いままで火事に罹ったことがないと自慢して、鎮火のお札を書いてやったりしたことがあったとか。