九月

 格別コレクトマニヤでないが若い時から何か蒐めたい好奇心があったせいか、はがきブックにこれはと思われるものを挿しておいた。昭和五年が始まりで御子柴修一の自分で彫った版画の年賀状である。中学校の同級生で昭和三年に卒業した仲の良い友人。在学中から画が堪能で彼の油絵を大切にしているが、惜しむらくは夭折して想い出のひとである。
 でも戦争中強制疎開の憂き目に遭い、偶東京在住だった姉の一家が私のところに疎開していたため両家の落ち着き先を捜していたところ御子柴宅にお願いしたら、旧知の誼で姉一家のお世話をして下さった。感謝の至りであった。それも一カ月経たら終戦になる回り合わせだったが。
 どうしたわけか、少し飛んで十年になるが、当時郷土研究が盛んな頃でその端くれを気取って県外の人ともつき合い、ブックには大阪府宮本常一が、周防大島のオイコの説明書きで知らせたもの。図入りである。はがき郵便代は一銭五厘で、坊野寿山の干支のいのししが水芸図案、木版多色摺り。花柳吟寿山調で当時聞こえ深い川柳家。横綴じの寿山調を珍蔵している。
 次には旧臘転居を兼ねたやはり木版の岸本水府の年賀状。
正月はみななつかしい人ばかり雅印風に龍とある。
 次はやはり大阪の趣味家、川崎巨泉のいのししの木版画。別に移転通知の巨泉のはがき。昭和十年五月、図入りの二度刷。
 うちで機関誌を印刷してあげた愛知県起町の土俗趣味社からの校正催促のはがき。祭りで興行をする今はなつかしい「覗き眼鏡」のはがき。演し物古賀聯隊長とあり発行は土俗趣味社。
 英語入りの評判でも書いてある佐藤千代子(サトウ・チヤコ)ブロマイド。これは私の姉から貰った記憶のもの。
 昭和十年十月一日は国勢調査記念はがきで、一銭五厘の切手が貼ってある。その記念はがきを小谷方明が昭和十一年八月十七日付で、切手代は二銭。コタニ・ミチアキラとよませる姓名。長いつき合いをした。蔵書印や蔵書票にくわしく、しばしば啓蒙のある案内記録を印刷して披露した。『大阪の民具・民俗志』の著がある。