七月

 やっと頭痛がよくなってゆく気持ちではあるが、全快とはならないでいる。頭がどうも重くて仕方がない。
 服薬はきちんと守って容態を説明するたびに、自分でいい加減に治らないものかなと溜息をつく。俳人の鳥羽とほるさんが雑誌を届けられ、そのとき頭痛の話をしたら、脳を診て貰った方がよいではないかと、信大脳神経科をすすめていただいた。亡弟と同年輩で医師、今は大町病院長を退職なされ悠々自適の日常である。主治医にも諒解していただき、経過簿の写しを持参して出掛けた。
 親切にしていただき、レントゲンの私の頭脳を見て、年齢にしては割合はっきりしていて異常はないと診断された。封筒に入れた報告書と鳥羽さん、主治医に差し上げて感謝した。
 どうもはっきり言わないが、歳八十有余だから若い者とは違い、だんだん衰えてゆくからだだからやむを得ないが正直なところ、やっと気がついた。気がつくのが遅く、自分ながら苦笑しておさまったところである。
七月九日は前からお知らせがあった古川久先生の三回忌で、武蔵野から未亡人と御子息が見えた。女鳥羽川畔の大松寺である。
 集まった方々は皆教鞭を受けた教え児でお互い話し合っているのに、相手なしが私だった。でも生前お付き合いさしていただき、狂言について該博なる研究で知られ、松本高等学校教授と一商人の間柄で、前にもこの欄で書いたのでご存じの筈。
 排仏毀釈で廃寺となった清宝院はこの大松寺の東隣、十返舎一九が松本に来たとき、地元粒寄りの常連が川柳の会、狂歌の集いをしたところである。散歩の道すがら昔のうたの先輩を偲ぶや切。
 七月十四日NHKテレビで、生活ほっと「危機克服、夫婦円満術」に登場したペギー葉山は東京に在る甥と同級生で、東北地方に集団疎開をした友達だったとよく話をされたものだ。もうひとつの熊井啓映画監督に明子夫人は信州の出身、特に私と中学時代の故井口道雄君の愛娘で、文化村という特有の名のある家へ遊びに行ったとき会っている。
 機縁の自在さよ。