十二月

 松本市老人クラブ川柳まつもとの指導といっても、十幾年か道連れになっていると、対向の立場を離れて同輩の集いという睦みになる。月一回のめぐり逢いを楽しみに遠路をいとわず寄り合う。腰はみんなピンとして杖のたよりを敬遠の頼もしさ。
 会場で座るところは自分の覚えている位置にすんなりと。
 じめじめしないし、おじおじもない老後のゆとりがほの見えて嬉しい。このままの姿勢でおるようだが、また一方で進取のこころざしを示す語りが披露されたりする。
 課題「忘年会」、どんな作品になるか、そのなかの主張と抱負と心境はどうかと耳をそばたてる。披講になると、いつ自分の句が回ってくるのか、小躍りするような気分がいとしい。
  小人数元気な集い忘年会
            静江
 正直いって幾十人とはゆかずに小人数だ。そのなかでお互い味わいを求める。
  ちっぽけでも心温まる忘年会
            ふじい
 八十歳同期の気炎や如何に。みんな心温まるものを胸にひびかせるのだ。
  忘年会年寄りだってやりましょう
            志げ子
 その意気や旺ん。自分の齢にあらたまりながら、思いのたけを示唆しよう。
  忘年会自分の年は忘れない
            守人
 馬齢というか、長寿と呼ぶか知らず、ありのままの年月にうなずいて、ひたすら年甲斐を称えたいのだろう。
 そんなとき若い孫の年代の大学生から手紙が来た。去る年、信州大学講師をした。そして聴講に対するレポートを執筆して貰った。
 学校の許しを得て本誌に全部掲載した。そのなかで「誹諧武玉川」と「誹風柳多留」の関係についての渡辺科子のレポートがほしいという。
 愛知県の南山大学文学部国文科四年に在籍中、卒業論文で川柳を採り上げたようだ。その該当号を早速送ってあげた。
 忘年会の老連、論文の孫の取り合わせに年の暮れを満喫した。