十一月

 平静を装って毅然たる抱負をいだいているわけでなく、このままの情勢から脱する気持ちより、自分を守ろうという段階にあるようだ。一エポックから次のエポックに進展する真摯な積極性とはほど遠い。
 それでいて好奇心はある。その夢の描くまぼろしに縋ろうと、年甲斐もなく爛々と心を燃やす。哀れな炎だが、足踏みしながら寄り添うかたちとなる。
 当たらず触らず人の意をくんでうなずいたり、そこまでの域には行かれない癖に落ち込むことを忘れて眺めている。呼ばれてハッと自分を見つけだす迂闊さに、にんまりもせず至極真面目顔だ。
 これまで生きて来たよりどころのひとつふたつの散失を慮って、その処理を考えることがある。
 日本全国の川柳雑誌とまでは到底無理だが、縁あっていたゞく僚誌がたくさん蒐まり、どれもこれも、大きくも小さくも慈味あるおくりものである。大切にしなければならない。
 遠いところから送って下さるが一度も会ったことはない。交情の誼というものだろう。そういう方が用が出来てと申され、お寄り下さる。ただただ交友の有り難さをなつかしがる。
 当地と県の図書館、上野図書館国立国会図書館日本現代詩歌文学館。川柳しなのは内容から言って国文学研究資料館へは率先贈るようにと奨めてくれた人がいたので、恐る恐る送本している。
 日置昌一の物知り辞典によく拙誌の作品が掲載されるので、著者にたずねたら上野図書館からだとおっしゃり、そんな縁で上京したついでにお寄りして知り合った。ところで処分について全国の川柳雑誌を松本図書館で受けてくれるかとたずねたら快諾を得て、今から二十数年前に寄贈した。
 その頃、静岡県芝川町の清博美さんが拙誌創刊以後閲覧が始まり古川柳記事の蒐集に及んだ。承諾を得て松本図書館在庫の川柳雑誌全部に亘り、古川柳記事蒐集と取り掛かり、今度「雑俳川柳研究文献目録」その一を出版、横A4、五百頁の大冊である。「石曽根文庫」が九月二十九日に公開、清さん講演会に私が挨拶する機を得た。