十月

 お気づきの人は多かろうが、拙誌表紙のカットは蔵書票である。蔵書印と同じくその所有者の標識で、エキス・リブリスの名称がラテン語だが、弘く流通したため、世界語になっている。
 本誌昭和初期に断続的だが、その筋の専門家に執筆していただいたことがある。明治、大正と続くが、その構成に於て寺院などで愛用されたものがもっと古い。斎藤昌三(本誌題字)の「日本の古蔵票」に精しい。
 それより先、昭和四年刊の「蔵書票の話」を古書店でやっと待望の宝として入手出来た喜びは忘れない。昌三主宰する「書物展望」に私の、前川千帆作「雲雀」が紹介された頃から、この方面に関心を深くするようになった。
 その成果というとおこがましいが九月二十一日から六日間、倅の経営する百趣で蔵書票展を開いたが、一般に通知しないで報道関係のみに紹介されたお陰で、珍しさも手伝って好評だった。
 版画界で知られる青森市あたりの地方では、いままで数回を重ねているが、松本では初めてだったけれど、蔵書票の名称を知らない人もいて、説明に腐心した。
 所謂 版画といえば木版、石版、銅版だが、加えて若山八十氏や板祐生の如き孔版も妍を競った。作者はなるべく広範に及ぶようにし工夫を凝らした。手っ取り早くいうと、昨年朝日新聞日曜版に佐藤米次郎珍蔵の図柄を掲載したからご存じの方もあろう。
 先ず地元の長野県出身者として洋画家の中川紀元、童画家の武井武雄から須坂で眼科医の傍ら特異な木版の小林朝治を挙げ、民芸の芹沢?介を初め、川西英、川上澄生畦地梅太郎、中田一男、下沢木鉢郎、橋本興家、斎藤清棟方志功、守洞春、徳力富吉郎、前田政雄、関野準一郎、無論現役の佐藤米次郎を架けた。
 地元ではいま雑詠欄のカットの丸山太郎が入る。木版もやれば雅印を拵える巧者だったから、蔵書票の種類は多い。童画の初山滋、長く口絵として続いた武藤完一、趣味多い料治朝鳴、小谷方明もある。亡弟武郎は木版が好きでドイツ語の手塚富雄教授の暑中版画を作ったことがあり蔵書票も作った。