七月

 松本というとサリンと結び付けたがるのが世間だから、オウム教に翻弄されて、怖いと感じる人がいたかも知れないが、全日本川柳長野大会が盛会だったことを陰ながら喜んで下さったようだ。
 新聞で報道される地籍以前、松本道場の土地問題で係争中の判決の当日、長野裁判所松本支部を襲う手筈だったそうだ。
 濠を隔てたすぐ南が松本城が建つ地点、もしそうなっていたらぞっとする。
 いまもって現地の住家から通院なさっている人があり、亡くなられたお遺族の心中いかばかりかと同情の念にかられる。
 松本城にほど近く城前通りと別称があるところに住んでいる。観光客が通る街で、ナナカマドの朱の実のつくとときは特に人気があって賑わう。
 加藤清正が入信したとき、松本城に立ち寄った記念に、加藤清正駒つなぎの由来がある。慶長十一年に築いた熊本城は、松本城の容姿とよく似合っていると好感を持たれている。
 期せずして全日本川柳熊本大会は来年に決まった。何か奇縁があるような気がしてならぬ。日川協の旗がいよいよ海を越えて熊本にはばたくことになる。
 大名面をして松本城と熊本城が仲よく、煙草を吸うとき貰い合うさまを目に浮かべ、次の江戸小咄の大名の野暮ったさからは超越したい。
     さすがは
 奢り大名に家老職の諫言も届かず、この上は鷹野に出しが、百姓のうさうさのていをお目にかけんと、まんまと鷹野に出しが、かねて百姓に農作かまひなしと触れたれば、常の如く働き居けるを、殿様つくづく御覧なされて、さて、やかたへ帰り給ひしが、家老を早速召され「今日鷹野に出て、初めて百姓のていたらくを見るに、甚だ心労をなす事じや。われ、これまでの奢りは、ただ先非を悔ゆるなり。よくよく百姓が困窮するかして、今日も一服の煙草を二人して呑んでいた」(年忘噺角力巻四、安永五年刊)
 一つの煙草を二人で喫っている風に見た可笑しみ。火種をいただいている筈なのに。