五月

 四月某日、見ず知らずの人が訪ねて来て、この句集に署名してくれと言う。それは昭和十六年発行の私の処女句集「大空」である。どこで入手したのかと聞こうとしたら、その前にかしこまって経緯を打ち明けられた。
 この人は東京都葛飾区に住んでおられ、遠く札幌の古書店で見つけたおっしゃった。そしてわざわざ松本に来られたのである。
 この句集は麻生路郎の序文、題字、表紙装幀の小林朝治で飾っていただいた。師事の路郎の話、朝治の版画のことに触れると、興に乗って武藤完一、平塚運一の名が出てくる。
 どうも創作版画を愛好されるので、おのずと膝をのり出す対談となる。信州ゆかりの武井武雄、横井弘三、中西義雄、山口進、北沢収治、香山小鳥の名を挙げての気焔で、とうとう五月五日から七日まで、二階展示場に於て佐藤国男絵本原画展を開催する奇縁が生まれた。物珍しげな立看板に誘われ、大勢の人たちで賑わった。
 帰りがけに前川千帆の蔵書票をいただき、私は、
   でかめろん哀しい
     唇を見せに来た
に添える裸婦の中田一男の版画を差し上げた。
 四、五月は転勤の多い月だから挨拶状をよく印刷する。原稿を持って来ないで、こちらに備えてあるサンプルを参考にする人もいる。今年は殊に忙しかったように思われる。きまりよい文章が一般だが、中には感動を覚えるのに出会う。四月には転勤と共に退職や合格もある。合格は殆どない。わざわざ印刷して通知するまでもなかろう。今年は一人あった。原稿を読んでから思わず激励してあげたのだが、同じ内容を印刷した記憶がよみがえって来た。十年ほど前になる。
 このひとは昨年八月にNHKを退職し浪人中の身であったが、信州大学医学部の学生となる冒頭の文があって、三十歳を過ぎてという少々遅い転身だが、精神的援助に係わる医療に興味がつのり、決行したとある。患者さんが気楽にかかれるような医師を目指したいとあり、老耄のわが身を叱咤した。