三月

 松本城はほど近く、二三分のところに在るが、、堀に添って正面入口あたり松本中学校が建てられた頃、学生の便を図り靴屋さんが数軒、それに本屋さんも数軒並んでいた。洋服屋さんも仲間入り。
 年が経って随分変ったが、同じ商社が割と多い私の町である。いま銀行を含め金融機関が四社、保険会社が四社、歯科医院もこれに負けるものかと三軒ある。内科小児科はいま一軒減ったが前は三軒あった。
 観光客目当てで食堂が三軒、土産店がやはり三軒、賑やかだ。
 昭和二十年八月十五日に戦争は終結したが、一ヶ月前の七月十五日に強制疎開があり、その後の町の様子が変わったことで民家の代りに官衙街になったとも言える。すぐ隣の銀行、斜向かいの電話局の為に拙宅が疎開の厄に遭い、家をぶっ壊されてしまい、一時郊外に移り住んだ。その年の末に僅かに残った蔵の中で住むようになった。町内で一番早く現地に戻ったので、みんなに羨ましがられたものだった。ご存じのように土蔵は迷彩を施せば破壊から免れた。みんな丈夫で、父も母も私夫婦と子供共に医者にかからず、戦後の生活に無我夢中で頑張った。私はときに痔疾に悩まされ、痛さをこらえて呻吟した。その癖、自転車に乗り、あちこち食糧をあさり回って、手助けをしたものだった。
 父は入歯で、孫たちを喜ばすのか、もぐもぐ舌で巧者にあつらって入歯をはずして見せた。
  歯をみがきかけ
    仰向いて物を言ひ
          (柳多留二二)
  ぬいた歯のあと
      なつかしく舌が行く  爪人
  歯が抜けてから
      噛みしめる親の恩
            (柳多留六一)
     歯形
 見得をしたがる隠居、おのれが腕をおのれがくひつき「これ見やれ、年が寄つても気に惚れたさふで、かの馴染めが、やき餅でくひ付きおつた」「この歯形は女にしては、だいぶ大きいね」「そのはづ笑いながらよ」
           (坐笑産、安永二)