二月

 阪神地震で避難場所にくらしておられる罹災者の方々に、心からその辛労のほどをお察し、お見舞い申し上げるや切なるものがある。神戸のふあうすと川柳社、時の川柳社の安否を気遣っているが、一日も早く復刊を祈るばかり。
 たまたま東灘区に移住しておられる誌友があり、電話を掛けたが「ご遠慮下さい」と局の声であきらめる。
 二、三日して電車が三十分のところに縁戚のあることをうろ覚えに思い出し、そこへ電話したら神戸の方から無事を知らせて来たとのこと、やっと安心した。
 そして二月三日節分の日にと書いたハガキが着いた。表面の半分に二八〇字、裏は段落ごとに四色刷で一八八〇字で、明朝七号丸ゴジ体。四〇〇字原稿紙五枚半。
 「どすんと放り出されるような衝撃に続いてぐらぐらと家が揺れる。その異常な揺れの大きさと時間の長さに驚いていると、一階の部屋で寝ていた家内が階段を上がりながら『地震よ。どうしたらいいの』と声を掛ける。私はまだ布団の中。度胸が据わっていたのか恐ろしくて声も出なかったのか」。
 懐中電灯、携帯ラジオを手探りえでさがすもどかしさとつづく。やっと夜が明け、燃えているらしい激震地から真つ黒い煙が盛んに立ち昇るのが見えた。
 身の回りはどうかというと、タンスがいくつも倒れて引き出しが飛び出ており、棚に置いた置物が下に落ちて粉々に壊れている。本やフロッピーディスクが部屋に散乱。どこから手を付けて良いやら。
 その当日の様子がハガキにぎっしり報じられていた。西宮に住んでいる次男が子供達を連れて様子を見に来たのは有り難かったとあり平素の三倍余もかかって到着したそうだ。ハガキの方はまだまだ連綿と長く続く。
 その誌友が神戸出身の版画家川西英を私が知っているとお便りしたら、兵庫県立近代美術館で頒布する曲馬、小春日和、アクロバット、馬使い、アトリエ、露台の版画集を送っていただいた。
 この県立近代美術館は無事だったろうか。知るに由ない。常時架けてある「サーカス」を眺める。