十一月

 朝、顔を洗ったあと、すぐ水をコップに一杯飲むことにしている。名水と呼ばれるものではないのが口惜しいが、それは我慢のしどころと言うものか。
 こうすることで胃腸によいと聞かされ、こんな楽な養生法なら忘れずに実行出来そうだ。
 そして夜寝る前に足の親指をぐるりぐるりとひねる。どう効くのか、あまり気にせず続けたい。ラジオ体操の号令を寝ながら聞くのが好きで、自分のからだを動かさず、みんな実直だな、みんな真面目だな、ひそかに羨ましがる。横着、怠惰、馬耳東風のていたらくでさもしいなと思う。
 ただたまに代わりばんこに両腕を振り回しかりそめの体操ときめこんでけろりとする。
 自分の歳を数えて、やせっぽっち、よく生きて来たものだ。毎月一回、年寄り達の川柳句会に出掛け、選者というのは名ばかり。着眼点とか人生観とか、句にあらわれているから、教えられたり感心してばかり。無論、卒寿の先輩がいたって元気だから、敬愛の心いっぱい。
 上には上があるもので、一〇一歳。曽宮一念。へなぶりの日にのタイトルで、夜遅く放映された。洋画家・藤島武二などに師事、二科会と創立美術協会の会員を経て国画会会員の歴任。
 へなぶりは夷曲(ひなぶり)の転化、流行語を新趣向で詠む一種の狂歌、明治三十七、八年盛んだった。
 へなぶりを字幕で幾首か紹介されたが、自分から卑称だと言い、色紙に一字一字書いて見せた。目がご不自由らしく、介護の方が「左から力強く一本引く」と、字画の運びを一々指示する。
 元気ないい声で、天下を叱咤する気味横溢、とてもうならせた。サブタイトルに、雲と山を語るとあつたが、家内が画面に同調せずクルリっとチャンネルを代えた。その翌晩、ラジオ深夜便羽田澄子という方のインタビュー。もと岩波映画担当、いまはフリー。記録映画「痴呆症」二時間の製作の苦心談がとても素直だった。始めは痴呆症の病名に哀憐の情を禁じ得なかったが、次第に真剣、本腰になったと感慨深かった。