十月

 歳とって老いを磨くなど気張っような言葉になりやすいが、それでいて無性に寂しくなることがある。だんだん追いつめられてゆく過程で、なるほど果てが近いなと素人判断で悟った顔をする。
 当然のように呆けが連れ立って訪れ、こんにちわとも言わないで居座るけはい、この呆けにはふたつ種類のあることを若月俊一佐久総合病院院長さんが教えてくれ、一つは「アルツハイマー型」と言い、これは誰でも起こる脳の老化現象で、脳細胞じしんが毎日何千何万と壊れていく。とても再生はできない。
 もう一つは「脳血管損傷型」で高血圧や動脈硬化から来るもの。その予防や治療が呆けにも効果があるとされ、脳の代謝を良くする薬が出ているという。
 だが薬にばかり頼っていてはいけないから、お年寄り自身の心の持ちかたが大切だという話だ。それは積極的に情報を受け入れ、それに反応する力をつけること。孤独に陥れば呆けがひどくなる。頭を使えというわけだ。
 長い間生きて来たから、ふいに流転という言葉が湧いた。辞書を見ると、移り変わりと先ずあり、輪廻にも通じる仏語で迷の生死をつづけ、六道四生の間を流れまわることとある。
 六道とは地獄、餓鬼、、畜生、修羅、人間、天上の称。四生とは胎生(人・獣など)、卵生(鳥、魚など)、湿生(諸天、地獄のものなど)
 拙くも長く生き、少なからず迷に惑い、今以てうろうろしている。六道にも四生にも、地獄が出て来るが、天上は昇天で極楽か。
   地獄
 ある貴婦人の邸の夜会で、天国と地獄の話がはずんだ。すると、ひとりの令嬢がささやいた。
  ―わたくし、地獄のほうが好きだわ。
 そばにいた別の令嬢がすぐ相槌をうった。
 隣の紳士がおどろいて訊いた。
  ―どうして?
  ―だって、面白そうな男の方が、みんな地獄へゆくんですもの!

  田辺貞之助「フランス小話集」