六月

 足の小指に魚の目が出来て、歩行に難儀した。魚の目とはうまい表現で、たしかに腫れた真ん中に黒い斑点がこちらを見てる。医者に診て貰うほどでもないときめこんで、売薬で間に合わせた。
 三日間毎に貼り続けてゆくうちだんだん皮が剥がれるようになりやっと元通りに快癒した。それから朝の散歩をするようになった。
 やはり寒い間は無理をして風邪でも引いたらこわいので、じっと我慢することにした。
 散歩の近くに神社があり、拝殿に二拝二拍手一拝と心得書きがあるが、それに倣って頭を下げる。春秋二回に亘って祖霊祭があるので、これだけはよく覚えている。散歩の行き先に向かって一緒になるのが登校中の小学生で、一人だけ、二、三人連れ添う群れと同行する。早く走ったり、遅れまいと競争の無邪気な戯れとなる。
 向こうから犬をつれて顔馴染みになったつもりで挨拶を交す。夫婦で二頭仲よく引っ張られてゆくのにも出会う。
 いつでもそうだが、目線が合うような位置で、猫がじっと腰をおちつけて見ている家の前を通る。毎朝きまって、滅多に姿を見せぬときがない。散歩同志の間柄のつもりでつい挨拶したくなる。
     猫
 見世に美しいかみ様が猫を抱いてゐるを、「ナントみやれ、とんだ美しい猫だナア」「ウン、あの猫を抱きたいな〱」猫聞いて「ニヤアンウゝ」女「べらぼう、うぬがこっちゃねへ」
  (花笑顔、安永四年刊)
 ちょっぴょりうぬぼれめいた仕草が捨て難い。毎朝会う猫は私を見て何と言うのだろう。鳴き声を解読したくてもそのすべもない。
 岸竹堂は動物画では余人の追随を許さないほどだと聞くが、「月下猫児」と言うのがある。ゆれ動くしだれ柳の細い枝を渡る小猫がカマキリを見つめている。「原色明治百年美術館」昭和四二年刊。鳥獣とくに虎を得意としたと誌されている。
 竹を書くからは
   猫ではないと見え
         柳多留一二九
 おろそかにもこれは素人で、雲泥の差は火を見るよりも明らか。