五月

 月一回私くらいの人たちと集まる機会があり、四方山話に興じるが、今まで気がつかなかったことや初めてのことに触れるのでつい耳をそばたてたりする。
 翁草とか蘖(ひこばえ)と言った植物語が出ると、こちらは不案内でギャフン。そこで私が口を入れた。
 今朝ラジオを聴いていたら、北海道のひとで植物採集して三千種類になり、なおこの上も心掛けたいとの話に、アナウンサーがあとどの位ですか、そうですね、五六百種類でしょうねと答えた。
 これはみんなは聞いてくれ、熱心な旺盛に感動のおももちだったが、私はこうもつけ加えた。被写体に向かうとき、その日が快晴だったりすると気が重く、すこし曇り勝ちな天候が撮り易いそうだ。
 話題が変わる。足がだんだんと弱くなり、坂なんか平気で歩いた頃の若さが、どこへ飛んで行ったのかと顔を見合わす。
 それには散歩ですね、毎朝少し早足のつもりでテクテクやると、朝飯も誠にうまい。飯も早食いでなく、もぐもぐ噛むことだねと親切だ。
 夏になるとゴロリと昼寝をする仲間も多く、郊外に住んでいる人はそれだけ涼しい風が、何時となく吹くらしいので快適なのだ。こちとらはギシギシ混み合う街なかだから、風なんかには縁がない。
 私は一年中、少しばかりだが昼寝をする日常を話したら、みんな微笑んでくれた。私に習って励行しているかは聞いたことはないけれど。
 釈道契の「続日本高僧伝」には貴重なことを書いてある。
 備前国竜津寺の僧で大潮、九十三で明和五年に逝くなっているが長命である。年を取っても昼寝はしなかった。読書に怠らず励んだのだが、或るときうたた寝してしまった。起きてこう言った。
 「木が倒れたり、家が壊れたりして一晩中睡りませんでした。それでうとうとしましたので、わたしは八十五になって、今日初めて昼寝をしました。わたしも年をとりました」。
 八十五歳というと私よりちょっとばかり年嵩だが、それにしてもただただ欽望のほかはない。