三月

 和服の人は足袋を履くが、この頃殆んどが洋服だから、足袋は縁遠くなった。でも若かったとき履いた経験は持っている。靴下の測定とは違い何文(なんもん)という寸法だった。万事寸法どおりなんて使うけれど、妙なところで出っ食わす。
 十返舎一九の「膝栗毛」の姉妹編ともいわれる文政辰孟月刊「金草鞋」十三編は身延詣の道中筋、甲府より信州諏訪へ出、木曾、塩尻を経て、松本街道、善光寺草津、高崎までだが、足袋の文数に出会った。
 「さよう、さよう。わたしも紺の足袋を買いたいと存じますが、私の足は変ったことでちぐはぐでござりますから、片々の足には履く足袋が十文の足袋、片々の足は十一文の足袋でなければなりませんぬから、どうぞ十文と十一文を一足にした足袋が買いたいと、そこら中尋ねますが、田舎は不自由でそんな足袋はどこにもござりませぬから困ります」
 十文と十一文とを一足にした足袋なんか滅多に売ってはいないだろう。
 「しかしそれは江戸にもありますまい。とかくお前方は田舎は不自由だと言いなさるが、今は田舎になんでもあります。わたしが後の宿でこの草履を買いましたが、これでご覧じませ。重宝なことを致したものでございます。草履に鼻緒がついておりますから、じきにそのまま履かれます」とある。
 いつかここで紹介したが、冬奉公の信濃者が足袋屋へ行き、足を出せと言われ突き出すと「エ、九文(ここのもん)じゃな」「信濃者でござる」とシャレた言葉が出た江戸小咄がある。
 中国笑話選になるとまた別な趣向をこらす。
 女房に靴を作らせたところが、小さかつたので、腹を立て、「お前は、小さくなくちゃならんものは小さくなくて、ちいさいのが、なんと靴だ」というと、女房「あんたは、大きくなくちゃならないものはおおきくなくて、おおきいものが、なんと足だよ」
 もっと人間的にこだわって実直なところでは
  白足袋で来たのはうまい
    演技だな     岩橋芳朗