二月

 あんまり早起きでなく、目が覚めてからしばらくラジオを聴く。いい話ををとらえてうきうきすることがある。
 七時半に床を脱け出しトイレ。快食快便快眠のひとつをこなしてすっきり、冷たい水で顔を洗う。ひげ面をあまり気にせず、子供たちに言われてやっと剃る。別にスマートになったと思うことはなく無造作だ。
 高校生の女の孫は登校が早いので滅多に朝食を一緒にしたことがない。倅夫婦と私たち夫婦が八時頃朝食を倶にする。話題は土地のこと、景況のこと、見本市出張や関西方面の商況探検にふれて来てやがて出勤時となる。
 生涯学習というと勤勉に聞こえて緊張味を帯びるが、もともと自営一本だったから生涯就職の羽目に甘んじ、何もかも古ぼけた狭い事務所に頑張る。
 海外旅行なんて夢のようで、全然縁がない。誰も誘いに来ない。畏友、丸山太郎が生きてころは旅行好き――ただ単なる旅行好きでなく民芸探索といった方が聞きはいいし、盛んに同行を懇請したけれど、億劫のせいか行かずに終わってしまった。黄泉で彼は私の野暮さ加減をさぞたしなめたいことだろう。
 郵便を受け、客との対応、茶菓のもてなし、すべてここですますのだ。久し振りの友人はここでなくコーヒーでも呑みにゆこうやと、すすめてくれるが、実行になったことはあまりない。
 談論風発なんて勇ましい闘いはまずない。齢のせいだろう。その癖、新聞柳壇の選を毎週引き受けせっせと仕事のつもりで大童だ。つまらない句ばかりだねとけなす人がいたので、君自身一新を試みるべく投句し給えと言ったら、真面目に毎週投句してくれた。
 会って豪傑振りをひらめかしたが、好人物だった。夭逝して思い出すばかりである。
 京都に遊学している姉を訪ねるべく高校の妹がご機嫌伺いし、あちこち見物して帰ってから、金閣寺で頌けて貰ったお守りを私の腰につけてくれた。孫だ。
 交通安全にもなり満足してぶら下げている。不時に備え、自分の名刺も入れることにした。