一月
同宿する知り合いの者で、いびきをかくから私は隅にしてくれと前以てことわる。旅の疲れですやすや熟睡しているとき、号令を掛けるような鼻声ともおぼしきいびきには閉口する。
寝はじめのころ、いつ例のいびきをかくのだろうと、心配になってなかなか眠れない。神経質だから苦に病む。
案外おとなしい顔つきで、ことわりもなく大きないびきに悩まされたりすることがある。
寝言やうめきや、いびきなんて一向お構いなしで、悠々睡眠をたのしむ人もあって、同宿はさまざまな風景をこらすものだ。旅の何よりの土産だろう。
狸寝入りは聞きたくもない話、立ち入りたくないおしゃべりを知らぬ顔で嘘寝入りすることだが根性はよくないようでいて、愛嬌がちょっぴりうかがえる。
文福茶釜で茂林寺の失敗噺は馴染みがあるが、狸というとおどけた化け方をして、狐ほどのいやらしさはない。
「豊芥子日記」に、文化十一年三月、江戸新吉原の佐野松屋の抱女郎某の許へ、一二度通う客があった。或る夜、この客が熟睡していたところ、屏風の外で新造や禿らが何か戯れごとをしたらしく、俄かに大声を挙げて興じた。その声を聞いて目を覚ました客が、非常に吃驚した状態で屏風の中から飛び出したのを見ると、大きい古狸であつたから、皆は騒ぎ立て、若者どもが大勢駆け来り、追いつめ回したところ、格子窓を衝き破って遁走したが、この狸の遣った銭は本物だつたとある。
八畳の坐敷に狸ふられてる
(柳多留五二)
これも遊所の狸でござる。
狸の参宮
狸十疋ばかり抜け参りして、ある宿屋にて、「同行十人じゃ。一人前三匁づつにて宿まらん」といふ。亭主肝をつぶし「いやいや、貴様たちは金玉ばかりでも八帖敷いるから、百帖もなければならぬ」といへば、狸が小声で「わたしらは女ばかりじゃ」
(噺栗毛上巻・文政十三年刊)
落語「狸寝入り」は親方は親方に恩返しをする狸が出てくるが、タヌキとキツネがサゲになっている。