十二月

 青森市におられる佐藤米次郎さんからお便りがあり「朝鮮川柳」も盛んでしたね、仁川の池田可宵氏は長崎で活躍してますねとある。棟方志功画伯追憶板画絵葉書で、福士慶昭の「紅葉のすかゆ」。説明に「志功画伯は八甲田山の鹿内辰五郎仙人と深いゆかりをもち山の湯「すかゆ」を愛し、ここでの制作にも、傑作が多い」とある。
 先年、東奥日報の工藤甲吉さんの案内で、十和田湖を案内された道すがら、秘湯のいくかを通り抜けて行った。前夜、宴会で痛飲されたのか、甲吉さんは二日酔いの頭をしきりに叩いて、強行軍に堪えておられた。でも午後になったら幸いにも酔いから覚めた。
 毎日新聞青森支社にいた旧知古川寿一さんは、いま松本の市民タイムスの「聞いたり見たり」を連載なさって好評だが、偶然お会いすると東北地方の話になり、いつの間にか今純三の名があがる。
 本造町松原風景、弘前市外営所通松原風景・青森市外松原風景のエッチングを大切にしている。昭和十一年版。
 その頃の年賀状では、宮尾しげをの極彩色、武井武雄の一枚漉きもの、川柳家では松盛琴人、庄健一、岸本水府、水谷鮎美、大谷五花村、福田山雨楼、松丘町二、柳三門、須崎豆秋、岩崎柳路などが見え、いずれも型破りの豪華もの。
 道祖神めぐりの本田渓花坊は松本地方の宝庫をのがさないでやって来ている。残暑見舞状で、別宅三階洋室より(昭和十一年立秋の日)の説明の写真つき。
 まだ青森にいた関野準一郎は第一回文部省美術展覧会出品、埠頭裏のプロマイドを送ってくれた。昭和十二年十一月十日付、乃木将軍の弐銭切手貼付。プロマイドの裏に「私の住む青森の港をモチーフにしたもので、最も好む風景です。蔵書票思ひのほか腐食がうまく出来ず改作したりして苦心しています。今一息お待ちくださいますよう願います」とあり、まもなく私の依頼したエッチングの蔵書が出来上がることになった。
 準一郎はまもなく志を立てて上京、その後も交際を続け思い出が深い。私のハガキ挿しを知っている寿一さんに懇望され、川上澄生の版画をねだられてしまった。